負の数と負の数の積が正の数になることについて環の公理から考えてみた

まえがき

私が中学生だった頃,数学の授業で,負の数と負の数の積が正の数になることについて説明を受けたのだが,今ひとつ納得できなかった. なぜそうなるのかという質問をしたが,どのように解釈するかという答えが返ってきて, 私は納得することを諦め,そういうものだということにして前に進んだ. どのような説明だったら納得できたのか,中学生の時の私に向けるつもりで整理してみた.

概要

負の数と負の数の積が正の数になることは, 実数のいくつかの性質から導き出されるものであることを説明する.

前提として,扱う対象は実数とする. まず,実数が持つ性質を考え,そのうちの一部の性質を抽象化した概念を定義する. 続いて,負の数,及び負の数と負の数の積の意味するところの解釈を説明する. その後,抽象化した概念について,定義から導き出される性質(命題)を示す. その命題は,実数においては負の数と負の数の積が正の数になることを意味する.

実数の例

前章で,本稿で扱う対象は実数であると述べた. ここでは実数の例を挙げる. 実数というのは,普段の生活で扱っている四則演算ができる数のことで, 中学生に向けてことさら強調する必要はないのだが, 具体例を挙げることで扱う対象をイメージしやすくしておく.

数にはいくつか種類がある.

  • 自然数(N\mathbb{N}): 1, 2, 3 など数えるときに使われる数
  • 整数(Z\mathbb{Z}): -2, -1, 0, 1, 2 など自然数と,マイナス自然数で表される数
  • 有理数(Q\mathbb{Q}): 2/3, -3/4 など整数割る整数で表される数
  • 実数(R\mathbb{R}): 有理数と,円周率 π\pi2\sqrt{2} など整数割る整数で表すことができない数

包含関係を示すと下記のようになる.

NZQR\mathbb{N} \subset \mathbb{Z} \subset \mathbb{Q} \subset \mathbb{R}

厳密な定義は省略するが,今回扱う実数について,多少明確にイメージできるようになるだろう.

実数が持つ性質

実数が持つ性質をいくつか挙げてみる. 大きくわけると下記 2 つにわけられる.

  • 演算についての性質
  • 順序についての性質

これらについて見ていく.

演算についての性質

下記にいくつかの例を挙げる.

  • 加法が存在する
    • 交換法則を有する: a+b=b+aa + b = b + a
    • 結合法則を有する: a+(b+c)=(a+b)+ca + (b + c) = (a + b) + c
    • 0 の性質: a+0=0+a=aa + 0 = 0 + a = a
    • 任意の実数 aa に対して,加算をして 0 になる実数 bb が存在する: a+b=b+a=0a + b = b + a = 0
  • 乗法が存在する
    • 結合法則を有する: a(bc)=(ab)ca \cdot (b \cdot c) = (a \cdot b) \cdot c
    • 1 の性質: a1=1a=aa \cdot 1 = 1 \cdot a = a
  • 分配法則を有する:
    • a(b+c)=ab+aca \cdot (b + c) = a \cdot b + a \cdot c
    • (b+c)a=ba+ca(b + c) \cdot a = b \cdot a + c \cdot a

他に,乗法についても交換法則が存在するし,0 を乗ずると 0 になる. 減算・除算もあるし,乗法・除法は,加法・減法より先に計算するといったものもあるが, さしあたっては上記の箇条書きされた項目を考えることにする.

順序についての性質

大小関係が存在し,任意の異なる実数 a,ba, b について,下記いずれかを満たす.

  • a<ba \lt b
  • b<ab \lt a

実数が持つ性質の抽象化

前章では実数が持つ性質をいくつか挙げた. 数学の世界には,それらを抽象化した概念が存在する. 演算についての性質,順序についての性質それぞれについて述べる. 後の章では,ここで導入した概念の定義にもとづいて議論を進める.

演算についての性質の抽象化(環の定義)

前章で挙げた,演算についての性質を抽象化したものは「環(かん)」とよばれる. 環の定義は下記のとおりである.

定義(環)

集合 RR について,加法 ++ と乗法 \cdot が定義され, 以下の条件(環の公理)を満たすとき,R(+,)R(+, \\ \cdot) は環であるという.

(1) 加法 ++ は以下の性質を持つ.

(1 - 1) 任意の a,bRa, b \in R に対して下記が成り立つ.

a+b=b+a.a + b = b + a.

(1 - 2) (結合律) 任意の a,b,cRa, b, c \in R に対して下記が成り立つ.

a+(b+c)=(a+b)+c.a + (b + c)= (a + b) + c.

(1 - 3) (零元) 任意の aRa \in R に対して a+0=aa + 0 = a となる 0R0 \in R が存在する.

(1 - 4) (逆元) 任意の aRa \in R に対して a+b=0a + b = 0 となる bRb \in R が存在する.

(2) 乗法 \cdot は以下の性質を持つ.

(2 - 1) (結合律) 任意の a,b,cRa, b, c \in R に対して下記が成り立つ.

a(bc)=(ab)c.a \cdot (b \cdot c)= (a \cdot b) \cdot c.

(2 - 2) (単位元) 任意の元 aRa \in R に対して a1=1a=aa \cdot 1 = 1 \cdot a = a となる元 1R1 \in R が存在する.

(3) (分配律) 任意の元 a,b,cRa, b, c \in R に対して下記が成り立つ.

a(b+c)=ab+ac,(b+c)a=ba+ca.\begin{aligned} a \cdot (b + c) = a \cdot b + a \cdot c, \\ (b + c) \cdot a = b \cdot a + c \cdot a. \end{aligned}

順序についての性質の抽象化(順序関係の定義)

数学の世界には「順序関係」とよばれる概念が存在する. その定義は下記のとおりである.

定義(順序関係)

集合 XX における 2 項関係 \leq が次の性質を満たす時, 集合 XX は順序関係を有するという.

  • (反射律) 任意の実数 xx に対して,xxx \leq x
  • (反対称律) 任意の実数 x,yx, y に対して,xyx \leq y かつ yxy \leq x ならば x=yx = y
  • (推移律) 任意の実数 x,y,zx, y, z に対して,xyx \leq y かつ yzy \leq z ならば xzx \leq z

実数は上記を満たしており,順序関係を有するといえる.

負の数とは何か

実数には順序関係があることを先述した. 順序関係によって実数を下記の 3 つに分類することができる.

  1. R<0\mathbb{R}_{\lt 0 }: {xRx<0}\left\lbrace x \in \mathbb{R} \\ \mid x \lt 0 \right\rbrace
  2. R0\mathbb{R}_{ 0 }: {xRx=0}\left\lbrace x \in \mathbb{R} \\ \mid x = 0 \right\rbrace
  3. R>0\mathbb{R}_{\gt 0 }: {xRx>0}\left\lbrace x \in \mathbb{R} \\ \mid x \gt 0 \right\rbrace

上記の 1 を負の数,3 を正の数とよんでいる. 環の定義に含まれる言葉を使うと,負の数とは,正の数の加法についての逆元と言うことができる. 例えば 3 (R>0)3 \ (\in \mathbb{R}_{ \gt 0 }) の加法についての逆元は 3 (R<0)-3 \ (\in \mathbb{R}_{ \lt 0 }) である. こういったもの全てを負の数とよんでいる. これを踏まえたうえで,負の数と負の数の積を考えてみる.

負の数と負の数の積とは何か

以降では aRa \in R(RR は環) の加法についての逆元を a\overline{ a }と表すことにする. 例えば,a=2a = 2 ならば a=2\overline{ a } = -2 である.これを使うと負の数と負の数の積とは, 任意の x,yR>0x, y \in \mathbb{R}_{> 0 } の加法についての逆元 x,y\overline{ x }, \overline{ y } の積 xy\overline{ x } \cdot \overline{ y } である. つまり xˉyˉ=xy\bar{ x } \cdot \bar{ y } = x \cdot y が成り立てば,負の数と負の数の積が正の数であると言える. 実数は環であるので,a,bRa, b \in R (RR は環)について,

aˉbˉ=ab\bar{ a } \cdot \bar{ b } = a \cdot b

が成り立てば十分であり,以降の章では,環について考える.

証明の準備

aˉbˉ=ab\bar{ a } \cdot \bar{ b } = a \cdot b を証明したいのだが,そのためにいくつかの命題を準備しておく必要がある. 本章ではそれらの命題を示す.

命題: 00 の積

環には 00 の積が定義されていない. 後の議論のため,これについて考えておく.

命題

任意の aRa \in R (RR は環) と零元 00 について下記が成り立つ.

a0=0a=0.a \cdot 0 = 0 \cdot a = 0.

(証明)

a0a \cdot 0 について考えると

a0=a(0+0)(0 の定義 )=a0+a0( 分配律 )\begin{align*} a \cdot 0 & = a \cdot (0 + 0) \qquad (\because 0 \text{ の定義 }) \\ & = a \cdot 0 + a \cdot 0 \qquad (\because \text{ 分配律 }) \\ \end{align*}

となる.したがって a0a \cdot 0 は零元 00 である. 0a0 \cdot a についても同様に 00 である.(証明終わり)

証明としては以上で十分だが,わかりやすさのため, a0=a0+a0a \cdot 0 = a \cdot 0 + a \cdot 0 から a0a \cdot 0 が零元であると言えることについて, 噛み砕いた説明をしておく. 零元とは c+d=cc + d = c を満たす dd のことであった. a0=a0+a0a \cdot 0 = a \cdot 0 + a \cdot 0 の 1 番目と 2 番目の a0a \cdot 0cc , 3 番目の a0a \cdot 0dd とおいて,左辺と右辺を入れ替えると c+d=cc + d = c である. したがって,dd は零元であり, dd とは a0a \cdot 0 を置き換えたものであるので, a0a \cdot 0 が零元であると言える.

命題: 加法についての逆元の一意性

命題

任意の aRa \in R (RR は環) の逆元は一意に定まる. つまり a,b,cRa, b, c \in R (RR は環) について a+b=0a + b = 0 かつ a+c=0a + c = 0 ならば b=cb = c である.

(証明)

a+b=0a + b = 0 であるとすると

a+b+c=(a+b)+c=0+c=c\begin{aligned} a + b + c &= (a + b) + c \\ &= 0 + c \\ &= c \\ \end{aligned}

である.また a+c=0a + c = 0 であるとすると

a+c+b=(a+c)+b=0+b=b\begin{aligned} a + c + b &= (a + c) + b \\ &= 0 + b \\ &= b \\ \end{aligned}

である.加法の交換律より a+b+c=a+c+ba + b + c = a + c + b である. つまり a+b+c=a+c+b=b=ca + b + c = a + c + b = b = c である.

(証明終わり)

命題: 加法についての逆元の逆元

命題

aRa \in R (RR は環) の加法についての逆元を aˉ\bar{ a } と表すことにする. 任意の aRa \in R について下記が成り立つ.

aˉˉ=a.\bar{ \bar{ a } } = a.

(証明)

定義より

a+aˉ=0a + \bar{ a } = 0

である. 別の言い方をすると,aˉ\bar{ a } の逆元は aa であるとも言える. aˉ\bar{ a } の加法についての逆元は aˉˉ\bar{ \bar{ a } } であるから

aˉ+aˉˉ=0\bar{ a } + \bar{ \bar{ a } } = 0

である.加法についての逆元は一意に決まるので

aˉˉ=a\bar{ \bar{ a } } = a

が成り立つ. (証明終わり)

命題: 加法についての逆元の積

いよいよ本題に入る. 上記で得られた命題を用いて,加法についての逆元の積についての命題 aˉbˉ=ab\bar{ a } \cdot \bar{ b } = a \cdot b を証明する.

命題

aRa \in R (RR は環) の加法についての逆元を aˉ\bar{ a } と表すことにする. 任意の a,bRa, b \in R について下記が成り立つ.

aˉbˉ=ab.\bar{ a } \cdot \bar{ b } = a \cdot b.

(証明)

加法の逆元の定義から下記が成り立つ.

b+bˉ=0.b + \bar{ b } = 0.

次に,00 の積の命題から下記が成り立つ.

a(b+bˉ)=0.a \cdot (b + \bar{ b }) = 0.

また,分配律から下記が成り立つ.

a(b+bˉ)=ab+abˉ.a \cdot (b + \bar{ b }) = a \cdot b + a \cdot \bar{ b }.

したがって

ab+abˉ=0.a \cdot b + a \cdot \bar{ b } = 0.

これは abˉa \cdot \bar{ b }aba \cdot b の加法についての逆元であることを意味する. つまり

abˉ=aba \cdot \bar{ b } = \overline{a \cdot b }

である.

(a+aˉ)bˉ(a + \bar{ a }) \cdot \bar{ b } についても同様に考えると

(a+aˉ)bˉ=abˉ+aˉbˉ=0(a + \bar{ a }) \cdot \bar{ b } = a \cdot \bar{ b } + \bar{ a } \cdot \bar{ b } = 0

である. abˉ=aba \cdot \bar{ b } = \overline{a \cdot b } であるから

ab+aˉbˉ=0\overline{a \cdot b } + \bar{ a } \cdot \bar{ b } = 0

と書ける.つまり,aˉbˉ\bar{ a } \cdot \bar{ b }ab\overline{a \cdot b } の加法についての逆元である. さらに加法についての逆元は一意に定まるので

aˉbˉ=ab\bar{ a } \cdot \bar{ b } = a \cdot b

である.(証明終わり)

まとめ

負の数と負の数の積が正の数になることについて以下の流れで説明した.

実数の性質を抽象化したものは「環」とよばれるものであることを示した. それは,環について成立する命題は実数についても成立することを意味する. 次に,負の数とは,正の数の加法についての逆元を意味することを示した. 最後に,環において,加法の逆元の積がもとの元の積に等しいことを示した. 以上のことから,負の数と負の数の積が正の数になることがわかる.

あとがき

私が中学生の時に聞きたかった説明をまとめてみた. ここで説明したことが理解できなくても,然るべき理由があることがわかれば多少納得できると思う.

当初,実数が体であることから,体の公理を示して説明しようとしたのだが, 積の逆元の存在は不要で,仮定を最小限にするために環の公理を示す説明に修正した.

説明の順序について,環の定義を導入した後に加法の逆元の積についての命題を証明し,実数が環であることから, 負の数と負の数の積が正の数になることを示すというのがより洗練された説明だと思うが, 中学生向けの説明ということで,このような順序にした. 文体が堅めの 『数学ガール』 をイメージしている. 納得できる説明ができたことに満足すると同時に,初等数学を高等数学の観点から見てみるのは楽しい経験だった.

蛇足

ChatGPT にも質問してみた.

質問

負の数かける負の数が正の数になる理由を教えて

回答

負の数を掛けることで,2つの負の数が正の数になる理由は,数の乗法の法則に基づいています.以下に説明します.

数の乗法の法則には,同じ符号の数を掛けると正の数になり,異なる符号の数を掛けると負の数になるというルールがあります.この法則を使って,負の数かける負の数が正の数になることを証明します.

まず,-1を考えてみましょう.-1は負の数です.次に,-1を-1倍するとどうなるか見てみましょう.

-1 × -1 = 1

この計算結果を見ると,-1を-1倍すると正の数の1になります.つまり,負の数かける負の数は正の数になるのです.

この理由は,数の乗法の法則によるものです.同じ符号の数を掛けると正の数になるという法則が適用され,-1を-1倍すると同じ符号の数同士の掛け算になるため,結果は正の数になります.

以上が,負の数かける負の数が正の数になる理由です.

納得できない.

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